教育の目的は何か?

デリーの空港で「SHIKSHA」という本を買った。タイトルのシクシャとは、ヒンディー語で「教育」という意味で、著者のマニシュ・シソーディアは、デリー首都圏で歴史的政権交替が行われた2015年から、教育大臣として活躍した人物。この本はデリーの教育改革の推進とその成果についての話をまとめたもの。

私は特定の政党を支持するものではないが、内容が純粋に興味深く、日本にも大いに取り入れるべき要素があると思って面白く読んだ。

インドの学校は、小中高一貫教育で1年生から12年生までが同じ学校で学ぶ。公立と私立があり、それぞれ「ガバメントスクール」「パブリックスクール」と呼ばれる。パブリックとは公共の意があるが、旧宗主国イギリスの制度に倣って、私立校をパブリックスクールと呼ぶ。

通常ガバメントスクールは、教育レベル、教師の質、学校の環境等すべての面でレベルが低いとされ、中流以上の家庭では、大抵子供をパブリックスクールに入れる。それだけ費用もかかるため、もちろん経済力に見合った学校を選ぶが、それほど収入がない場合でも、子供に良い教育を受けさせたいと願う親は、自分の生活を切り詰めてでもパブリックスクールに通わせることが多い。

シソーディアは、政府が運営する義務教育の現場が荒廃していることを問題視し、教育大臣就任直後から、公立学校の質を上げるための施策を徹底的に行った。予算を倍増することから始まり、自ら現場を回り、校舎や備品を整備するとともに、教員・親・子供達からのヒアリングを行い、問題点を洗い出して一つ一つ改善していった。その過程を読むのは大変面白かったが、もっと凄い内容があって驚いた。通常の授業に加えて、下記のような2つの特別課目を作ったのである。

    

①ハピネスクラス(Happiness Class)

幸福を、数学や科学のように、教えられるか?

幸福を教えることによって、子供達に幸福感を与えることができるか?

幸福を教えることによって、子供達をもっと前向きでクリエイティブに出来るか?

   

こうしたテーマを掲げて始まった「幸せの授業」は、1年で成果を示し始めたとのこと。

公立学校に通う子供は、上述のように経済的に恵まれない家庭の子供が多いため、家族の愛情が薄かったり、精神的に不安定な子供も少なくない。

この授業が始まって、気性が激しかった子供が穏やかになった、家族への愛情を示すようになった、男尊女卑の家庭の仲で、男の兄弟と差別されて自分の価値を見いだせなかった女子生徒が、自分の世界を持って心の平静を保てるようになった、など、多くの事例が寄せられた。学校側も更なる成果を期待しているとのこと。

そもそも、なぜこのようなクラスを始めたのか。

校舎を修繕し、環境を整備し、教師の待遇を改善し、生徒の成績が飛躍的に伸びた後に、なぜ、子供達をより良い人間に育てるためのクラスがないのか?という疑問が生まれたという。ハード面ばかりに注意を注ぎ、一番肝心な子供の精神に対するケアができていないではないか、という問題だ。その解決策として、ハピネスクラスが導入された。

では、ハピネスクラスでは、一体何をするのか?

次の3項目が紹介されている。

①マインドフルネス瞑想

②示唆のあるストーリーを読み聞かせ、各自の意見をシェアする

③討論

①のマインドフルネスは、グーグルなどのグローバル企業が社員向け研修として取り入れてから急激に知られるようになったが、そもそもインドは瞑想のルーツとも言える国。子供に瞑想とは新鮮だったが、確かに効果はありそうだ。

②のストーリーは、子供達が自分の立場に置き換えて考えられるような、様々な例え話が語られる。生徒たちがそれぞれ感じたこと、考えたことをクラスにシェアする。ストーリー自体は短いが、子供達全員が意見を述べることに時間をかける。繰り返し行うことにより、状況に応じた判断力を養うことを目的としている。

③はクラスで行う討論がメイン。例えば、自分自身の欲望の限度を知ることや、他者との信頼を築くことをテーマにした、ディスカッションが行われる。

  

教育の目的は、次の2つである、と著者は言う。

一つは、自分が幸せに生きるために必要な能力を身に付けること

もう一つは、他者が幸せに生きることを助ける能力を身に付けること

確かにこの2つが揃った大人が増えれば、世界中が平和になるだろう。学力をつけることにも増して、生き方を真剣に考えさせる教育ができるなら、どれほど凄い効果をもたらすことだろうか。

   

②起業マインドカリキュラム(Entreprenuership Mindset Curriculum)

学業は優秀な生徒を作る。優秀な生徒は一流企業に就職する。ではその企業は一体誰が作るのか。

学位を持った人間があふれても、仕事がなければ意味がない。雇用される人間を量産する制度は、限られた職をめぐっての競争を煽り、失業率を上昇させる。特にインドのような人口爆増真っただ中の国には、死活問題である。

だから、職を探す人間より、職を作る人間を増やすことが重要になる。

   

しかし、日本においてもこれは同じことじゃないのだろうか。

過労死やブラック企業などの問題は、自分で仕事を作れるようになればすべて解決する。我慢して雇われる必要がないからである。

バングラデシュでグラミン銀行を設立したムハマド・ユヌスも、融資の対象とする人々は、かご編みやお菓子作りなど、すでに技術を持っているため、新たに技術を教えたりはしないと言っていた。何で利益を出すかは自分で考える。マイクロクレジットは起業支援だった。

起業といっても大勢の社員を抱える必要はなく、各自が自分が食べていける仕事を自分で作るなら、世界から失業や不幸な労働者はなくなる。

このカリキュラムを作るに当たっては、インドの著名な起業家や専門家が参画した。対象となる生徒は9年生から12年生まで。基礎的な学習を終え、これからキャリアを目指して専門的な勉強に移る年代である。効果の程を見守りたい。

日本でも、子供の頃からこうした授業を受けていれば、確実に社会が変わるだろう。

小学校1年生が高校を卒業するまで12年間。教育改革は12年ワンサイクルで完了できることになる。大人の12年はあっという間だ。物事は変えようと思えば、意外に短期間にできるのではないだろうか。