インド、ケララ ~~ 築180年の美しい木造住宅


南インドの海辺の小さな町に、かねてから修復中だった家が、ついに完成した。

修復中の様子は、単なる小さな小屋、といった感じだった。ただ、その背景のストーリーがこの上なく美しく、完成するのをひたすら楽しみに待っていた。


元々の所有者はイギリス人だった。休暇で訪れたこの町がたいそう気に入った彼は、そこに別荘を作ることにする。ビーチを目の前に眺めるこの土地を購入し、そこに自分の思い通りの家を建てることに決め、どのようなスタイルにするか検討し始めた。

古き良き伝統を愛するこのイギリス紳士は、この地方独特の建築様式に出逢い、心を奪われる。金属のネジを使わない、昔ながらの木造建築。特に上流階級や富裕層の家は、天井に美しい木彫りの装飾が施され、ドアのかんぬきなども凝った造形に宝石が埋め込まれていたり、ディテールのこだわりが抜群だ。


ケララの伝統建築の最大の特徴は、家の中心部の広間に当たる部屋に、吹き抜け部分が作られていることである。オープンスペースの屋根は、内側に向かって瓦が敷き詰められ、その下には水槽が設えられている。雨の日には、天から降り注ぐ水滴を、家の中で眺めて時を過ごす。これが何とも言えずノスタルジックで、水の音を聞きながらも、時間が止まったような気持ちにさせられる。

見る者を圧倒するインド北部の石造りの建築と比べると、なんとも奥ゆかしく、華美さを抑えた装飾に対する美意識は、日本の伝統文化に通じるところがある。色彩も木材のダークブラウンほぼ一色である。


さて、かのイギリス人は、理想の家を求めて旅に出る。この地域を隅々まで歩いてみようというわけだ。さらに、当時宿泊していたホテルで彼の世話に当たっていたスタッフを気に入り、自分の未来の別荘の管理者として引き抜いた。

それから長く付き合うことになるこのスタッフを連れて、彼は家々を訪ね歩いた。そうしてめぐり逢ったのが、19世紀前半に建てられた美しい伝統建築。その地方のかつてのマハラジャに仕えた、大臣の家だった。

マハラジャの側近として高く評価されていた大臣は、自分の家を建てる際に、王族の宮殿用の木材を賜った。最高品質の木材を使い、最高の職人たちの技術によって建てられたその家は、当時の最も優れた建築物の一つに数えられるだろう。家には代々の子孫が住み続けていた。


この家を買い取ったイギリス人は、家を自分の土地に移築することにした。ところが、現代とは違う当時の建築様式は、誰もが扱えるものではなかった。彼は、この仕事を任せられる専門の職人を探し出した。そうして、移築プロジェクトが始まる。

ネジを使わず、すべて木組でできているその構造を完璧に理解した者でなければ、とても手がつけられない仕事である。

職人たちは、屋根、柱、壁、床、ありとあらゆる連結部分に印をつけ、それから慎重にはずしていった。すべてをバラして、彼の土地に運び込み、そこで再度元通りに組み立てる。つけた印を合わせながら、すべてのパーツを間違いなく復元するのは至難の業だった。2年の歳月をかけて、組み立てはようやく完成する。

ついに思い通りの別荘を手に入れた彼は、イギリスから通ってきては、ここで家族とともに海辺の休日を満喫していた。滞在中も、不在の間も、管理人となった元ホテルスタッフがしっかりと切り盛りしていた。


時は流れ、イギリス人も高齢になり、だんだんと長時間のフライトが難しくなっていった。主人の来訪がなくなった別荘は、メンテナンスも行き届かず、次第に荒れていく。そして、ついに売りに出されることになった。条件は、管理人を継続して雇うということ。

この話が、私のパートナーのところに舞い込んだ。自らの地元の古き良き伝統を愛する彼は、この場所をすぐに気に入り、売買が成立した。しかし、家は傷みがひどく、改めて修復するのはかなり大がかりな仕事だった。間取りは元のままになる予定だったが、私には、完成図の予測がつかなかった。


私のパートナーは根気強かった。足繁く現場に通い、職人たちに指示を出しながら少しずつ確実に仕事を進めていった。完成した家には、美しい内装を施した。同時に、庭を花で埋め尽くすためには、どのような植物が良いのかも研究した。砂浜に近く潮風の強い地面に根付くかどうかは、植えてみないとわからない場合もある。試行錯誤を繰り返した後に、美しい庭が誕生した。

敷地の入口には、アンティークのドアを設置した。観音開きになった小ぶりの木造ドアは、解体された古い家から外されたものを探し出したものだ。

こうして築180年の伝統建築は、新たな日の目を見ることになった。

私達はテラスに座り、打ち寄せる波の音をBGMにして、ビールで祝杯を上げた。

管理人は素敵なおじさんだ。この家を見つけ出して、この場所に移築するところからずっと関わってきた彼は、自分が大切に守ってきたものが主人不在で朽ちていくのを、どれほど沈痛な気持ちで眺めていたことだろうか。そこにまた、新しい住人が現れて、歴史を繋いでいくことになったのだ。

客をもてなすのも本当に楽しそうに、生き生きと働いている。地元を隅々まで知り尽した彼は、ガイドとしても秀逸で、一緒に町を周るとその土地ならではの面白い体験をさせてくれる。

特に目玉の観光地があるわけではない。ただのんびりと、芸術作品とも言えるその家で過ごし、漁師が遠くで網を引くのを眺め、潮騒を聞きながらビールを飲む。そんな贅沢。

地球上に、帰りたい場所が、また一つ増えた。