日本人の心情は、どこまで論理的に説明できるか?

一つ前の5000円札の肖像画になっていた新渡戸稲造は、「BUSHIDO」という世界的ベストセラーを出している。1900年出版で、欧米人、主にアメリカ人に日本を紹介する目的で、英語で書かれたものだ。

「切腹」の精神的意義を、シェークスピアやイタリアの絵画を持ち出して、ネイティブ並みの英語で説明できる日本人が、この時代に存在したことは驚くばかり。

しかし、この本に最初に惹かれたのは、もっと身近な事象に関する記述からだった。

贈り物をするときの言葉についてである。

日本では手土産を渡すとき、「粗末なものですが」とか「お口汚しですが」などと言う。片や欧米では、「こんな素敵なものを見つけた」「これはとても美味しいからぜひあなたにも」と言って渡す。

なぜいちいち「粗末なもの」を贈るのか。そんなヒドイものなら、最初からあげない方がいいんじゃないの?という考えから、最近は日本でも欧米式に、「これは素晴らしいものだ」と言って渡すようになってきた。

では昔の日本人の言葉は、相手に礼を欠くものなのか?

この疑問を一気に解決してくれたのが、下記の解説だった。

曰く、古来の日本の表現は、「あなたはこの上なく素晴らしい方で、そんな方に匹敵するような素晴らしいものを私は知らない。それでも何かを差し上げたいという気持ちをどうぞくみ取って欲しい」という意味が込められている、とのこと。

欧米の表現はストレートにそのままだが、結局のところ、両者とも相手を称賛する目的は同じで、ただアプローチが違うだけだ、という説明だ。

胸のつっかえが取れた。日本人としては、自国の文化は欧米とは違うが、正誤の問題ではないと考えたかったので、これを読んで心が救われる思いがした。

桜とバラの比較も、それを好む国民性の違いを説明する表現としては絶妙である。

明治初期の著作であり、現代文化にそぐわないことも多く、また日本文化の理解自体が間違いだらけだという研究者の指摘も正しいのだろうが、誰にでもわかりやすい万人向けの比較文化論として、今でも多いに参考になる本だと思う。

欧米人に日本文化を理解させるために、比較対象とされた欧米の書物や芸術は、逆に日本人が読むと、欧米文化の入口にもなる。

海外に出たときの日本人としてのアイデンティティーを考えたとき、とてつもなく大きな助けになる一冊だった。